「機動警察パトレイバー 旧OVA 二課の一番長い日」鑑賞メモ
機動警察パトレイバーの初期OVA(アーリーデイズ)の5話,6話で語られる「二課の一番長い日」は、陸自の一部がクーデターを企てる内容で、後日制作される傑作映画「機動警察パトレイバー2 The Movie(以降パト2)」の習作のようなもの。正直、アーリーデイズはこの2話につきる。パト2との関連を見つつメモを残す。
・OP、前半は野明のキャラデザインがちょっとちがう。髪黒いし。途中で本編通りの茶色になるが、表情の動かし方が本編とテイスト違ってやっぱり違和感。たぶん、キャラクター像が固まる前に作って、低予算なもんで修正できなかったんだろうナ。
~~~前編~~~
・予定表に第二小隊休暇の日程、日付は1日~3日。月は見えないが、後編冒頭で2月って教えてくれる。
・遊馬「 なんでレイバーにFCSが必要なんだ?」FCSはFire Control System、射撃統制システムのこと。
・行き場のない遊馬、懐かしき公衆電話。ケータイの普及は予見できなかったね。
・野明実家は「泉酒屋」
・野明に電話する遊馬。シーン終わりの引き絵の上を戦車が走っている。
・レイバー搭載車両が検問を突破。陸自レイバー操縦士のヘッドギアに映るコクピットの明かりは、パト2でも使われた表現。元ネタはSir リドスコのエイリアン冒頭。
2秒位の銃撃シーンは最高の迫力。この低予算アニメの余力を相当持っていっただろう。ジャラジャラと流れ落ちる薬莢表現がニクイ。
・立ち食いそば屋にて。甲斐「かけ、熱いところを貰おうか」「おっと済まないね、ネギ抜きで頼むよ」そして七味をたっぷり。店主は納得の表情である。立ち食いそばは押井の趣味。遊馬がコロッケ、たまご、いなりをゴテゴテと追加注文したのに対比して、甲斐はかけのネギ抜き…それって出汁とうどんだけってこと。装飾を徹底的に捨てるところにカッコ良さを感じるのは分からなくもないような。いや立ち食いのプロって何だよ。
・後藤隊長と太田がドライブ。アニメなのに、しゃべる方に合わせてピントが動く。押井得意の表現。「雪が降りそうですからね」と予告。
シーンの終わり際、怪しげな軍用車とすれ違う。
・野明実家で遊馬が偉そうなことを言う。現代的には疑問な態度だが、好ましい関係性として描かれている。亭主関白ぶる旦那と、従ってあげる嫁。
なおパト1では、「なーにえばってんだよ」と嫌がられる。
・決起の日は雪。パト2も同じ。226事件が雪の日とされていることとの連想か。
・永田町駅を戦車が通過。パト2では新橋駅で第二小隊が集結して、このイメージを引き継ぐ。
そして決起するクーデター軍。軍用レイバーの立つ絵面はパト2の自衛隊配備シーンで流用。ヘリのカットはそのままパト2の決起に流用。
・戦車に制圧される特車二課。パトレイバーは戦力であり制圧の対象となる。パト2でも制圧されたが、問答無用のヘリ銃撃でリアリティUP。
・旧式レイバーでクーデーター軍に立ち塞がる第一小隊。勝負にならない戦力なのは明らかだが、クーデター側も交戦は控えている。
ここでしのぶさんの演説「指揮官に告ぐ。無用の戦闘を望まぬなら、速やかに包囲を解いてこの場から撤退せよ。戦闘になれば、我々も警視庁の名誉にかけて死力を尽くして戦う。この場で血が流れれば、全国30万の警察官は最後の一人まで諸君らを敵に回して戦うだろう。繰り返す。速やかに包囲を解いてこの場から撤退せよ。」前時代的だ。全警察官にそこまでの覚悟があるかな?
(追走するパトカーを銃撃した時点で、警察官の血は流れてると思うなぁ)
・野明、遊馬、太田、ひろみ、進士。各々、ニュースを見て東京へ。太田はともかく、だれも迷わない。現代の感覚では警察官は職業のひとつにすぎない。果たして、自分が警察官だからといってこの場面で戦うことを迷わず判断できるだろうか。
パト2では、遊馬は悩む。後藤も「よく来てくれたな」と言う。職に殉じて戦うのは当然ではない。それが現代のリアルだろうと思う。
・「東京で俺たちを待っていたのは、戦争だった」押井が描きたいのは、現代の東京で起こる戦争だ。
~~~後編~~~
・後藤も立ち食い。果たしてその注文は、かけネギ抜きか、はたまたトッピングしまくりか。前者なら後藤は甲斐の同士、後者なら違う。たぶん押井はそのくらいの重みを立ち食いに見ている。そして、後藤の注文の答えは明かされない。
たぶん、かけネギ抜きだったんだろうと思う。
・車に電話がついている。自動車電話は80年代に実在した。携帯が発達して廃れた技術。
「はい、こちら上海亭」は二課内の合言葉なのだろう。
・中華屋の出前に化けてダサいカッコした香貫花、小芝居して騙すヤリ手ぶり(井上瑶さんの演技をしているキャラの演技、実にいい)。なお屋号は蓬莱軒、上海亭ではない。
・しのぶさん啖呵。「黙ってこの場を明け渡し、尻尾を巻いて逃げ出せと?」「お聞かせ願いたい。死守命令ならともかく交戦を禁じたうえ撤退とは、いかなる理由あってのことか」「承服できません。包囲を含む上空にも報道陣が詰めかけています。全国民注視の中でどのような情勢があるにせよ、ただの一発も反撃することなく本庁舎を明け渡すようなことがあれば、それは警察が自らの手で敗北を認めたことになります。それこそ彼らの思うつぼではありませんか。国を守るべき者が国を乗っ取ろうとするに対し、これを打倒するは我々をおいて他になく、今こそ全国民の期待は我々の双肩に掛かっているはずです。確たる証拠すらなく、否、確たる証拠があったにせよ、彼らの恫喝を前に戦わずして膝を屈するなど言語道断。たとえ守備隊全員がこの場で果てようと一歩も引くわけには参りません。」
上官の交戦禁止の指示自体は政治的判断として理解可能であり、徹底抗戦を論じるしのぶさんはカッコいいがやはり前時代的である。戦時中の無茶な軍人か。(榊原良子さんの演技が実に凛々しい)
パト2でも勝手に第一小隊を出動させる、上層部の腑抜けた態度に業を煮やして啖呵を切るなどやらかすしのぶさんだが、背景が修正されていて、正義がしのぶさんにあるのが明確にされる。やりたいことが同じでも、シナリオを丁寧に仕上げないと没入感を削ぐ例。
・汚らしい後藤。風呂に入ってないな。既に警察機構とは別次元で活動している。
・香貫花隊の戦いは、太田が敵でなく高速道路に穴開けて落っこちる自爆で早々に終了。訓練用レイバーを強奪とか口止め料とか過程に色々してるだけに、この動きがストーリー上なんの役にも立ってないのは惜しい。
なおパト2では、太田は都内に進撃やらかそうとして取り押さえられたと、描写もなく一蹴される。香貫花がやったことをやろうとしたわけだが。佐久間教官曰く「今日日のわけぇ奴らが、あんな熱血バカのアジに乗せられると思うか?」。製作者側も、このくだりの修正を試みているよう。
・後藤と甲斐の会話。
甲斐「何を考えてるのか知らんが、これみよがしに見せられれば揺動だと子供でもわかる」
後藤「どうかな?それならお前が見せびらかしているそのミサイルはどうなんだ。最後の切り札は身近に置いておきたいのが人情だが、それでは戦略とは言えん。しかし相手によってはそうと見せて裏をかくて手もある」
甲斐「その手はお前の十八番だったんじゃなかったのか」
後藤「忘れたのか、それを俺が誰に習ったのか」
わかりにくいが、このやりとりで後藤は甲斐側の船のランチャーが本物だと汲み取っている。ついでに、後藤はアルフォンスの他に本命があることをごまかしている。
・松井刑事「今からでも、あんたを逮捕すべきなのかもしれんなあ。後藤さん、あんたもしかしたら、今でもあの甲斐って男の同志なんじゃないのか」。後藤は答えない。同志であることを否定できない。
主犯の同志であること、昔なじみであること、止めること。パト2では荒川、しのぶさん、後藤に要素が振り分けられる。
・将校の制止を振り切って、本当に発射ボタンを押す甲斐。ひろみの空挺レイバーが早かったが、将校の制止がなければヤバかった。(撃つのに成功して切り札を使っちゃったら、それはそれで交渉の種がなくなるから敗北決定なんだけど)
・甲斐「事は終わった。二人から初めてここまで準備するのに20年。生きてりゃもう一回くらいやれるさ」言いつつも敗北感のない表情。懲りないし諦めない。反乱しつづけることが人生なのだろう。そもそも、彼が何を目的にこの反乱を企てたのかが一切描かれないが、たぶん押井世代は革命自体に甘美なものを見ていて、卑近な理由など語りたくないのだ。これは世代の違いだろうなぁ。パト2ではさすがに理由も語られるが、虐げられたとか貧しいとかの理解可能な話ではなく、観念的な、共感できないロジックだった。押井にとっての革命は、そういうものなのだろう。
それと諦め早すぎ。アクションシーンを作れない予算的制限もわかるが、ここまでの演出が素晴らしかっただけに、この尻切れトンボ感は残念。それで、時間的に予算的にできなかったことを全部やったリベンジマッチがパト2なのであろうなぁ。
新海監督のこと
天気の子みてきた。新海監督は昔から見てて、結構好きなのだ。これまで思ってたことを作品ごと時系列でまとめつつ今回の感想など。
①ほしのこえ(短編)
荒削りながら、この人のテーマは既に出し尽くしている。日常描写、会えない二人、遠回りなメールのやり取り、モノローグ、などなど。SF描写はやや陳腐。
美しい景色、少女との夏。作品に掛けられる仕事量が相当に増えたのでしょう、背景の美しさはこの時点で見事です。強力な武器を持った作家なのはこの時点で確定ですが、ストーリーは凡庸。SFすきなんだろうけど、やっぱりSFでいいもの出せる人じゃないんじゃ…って思ってた。
③秒速5センチメートル(連作短編)
そしたらSFを捨てた。作家性の焦点が定まり、奔出するフェチズム。美しい景色と少女、すれ違い。非リア充男子を(昔そうだったおっさんも)もきゅもきゅさせまくる、鬼才が誕生してしまった。このときは、この人はややオタク向けの監督として生きていくんだと思った。
ここに来てびっくりするくらいの凡作。ジブリっぽい要素を継ぎ接ぎしただけで個性がない。要は、普遍性のある長編映画というものに意識的に挑戦していて、その結果として自身のフェチズムを封印したんだろう。今にして思えば、オタク向け監督から脱却する、然るべき通過儀礼だったようにも見える。
⑤言の葉の庭(短編)
前作の反省からか、フェチズムの先鋭化に戻った。もとより得意分野だった映像の美しさ、細部の表現力が、もう桁違いにパワーアップしてる。傑作である。「秒速~」も連作短編だったし、長編の話作るの下手そうだから、このまま短編作家してくれるのがいいかな~と思ってた。
⑥君の名は
そしてこの超絶ヒット作。ああなんてことだこの人は、フェチズムはそのままに、長編を面白く作ることにも成功してしまった。少女はかわいく、おねーさんは美しく、世界はきらびやかに。前作で獲得した表現力は走り、フェティッシュでもありながら、大きなどんでん返しを用意したストーリーとも有機的に結びついている!大化けもいいとこ、何が起こった??異様な売れ行きもその素晴らしい内容に見合ったことだが、ヒットしすぎたことが次回作以降の作家性を殺してしまうのでは…と心配した。
⑦天気の子
で、ですよ。超絶ヒット作の後、映画監督としてのありようが逸れてしまうんじゃないかと恐れたが、むしろ獲得した力を奔放に作ることに振り向けたようだ。作品の動機だったであろういくつかのシーンは、本当に印象的だった。雨と晴れ間の描写、東京の水害、ラブホの一夜、線路を走るところ、などなど。人の心に刺さるシーンをイメージすることができ、表現することができる。表現者としてのこの人は、もう完璧に信用していい。この先もこの人は自分のフェチを表現し続けるだろうし、それは俺には刺さる。
落ち着いて振り返ってみれば、ストーリーの全体像としてはあまり上手に作ったものではなかった。じつは物語の骨組みは「君の名は」と同じ部分が多い(二人の関係が恋愛になる瞬間に会えなくなる→なんか頑張って会う、とかとか)。大人の事情に縛られたのか、あるいは、相変わらず長編ストーリーを作るのが苦手で新しいことできなかったのか。前回とだいぶ違うこと盛り込んだようでいて、実は今もストーリー作りがボトルネックな感はある。
街のルールからはみ出した少年少女が、それを矯正しようとする大人たちに囲まれて、ただ今のままでありたいのにと願う。彼らの切迫感は本当に感情移入できた。泣きそうなくらいだったんだけど、最後にあっさりと語られるように、この世の終わりのように思えた別離もせいぜい2~3年のことで、待てば解決する問題だったりする。本当にそこは、すごくあっさりと語られてしまうんだけど。そういう、若いときの「今がすべて」な感覚を今も鋭敏に持っていて、それを表現の根幹としつつも、客観視できる大人の視線もまた備えているのが、この人のすごいところ。
まぁその一時的な別離が、二人の関係性を決定的に変えてしまうというのもある話で、「秒速~」でまさにそれをやったわけで、待てば済むとは言い切れないのもよくご承知のところ。「君の名は」も「天気の子」も、その心配がありながらも変わらなかったのが、ハッピーエンドたる所以なのだ。
ところで、平泉成とダンチの刑事コンビ、この映画の用意したリアリティのレベルから浮いていてやや気持ち悪い。もう少しコメディリリーフ的に使う計画だったのかな?うまくいってないとオモ。
それと、ご都合主義的なところが散見されました。特に終盤の大事なところで。それでいい、と思っちゃってると惜しい。そういうのって、少しづつだけど没入感を削ぐんだよ。諦めないでほしい。
ちなみに私はカップヌードルの時間など数えもしない。最初にお湯を入れて、箸や机の準備をして、終わったら食う。少々ベビースター状態だったところで、それもまたうまいのだ。
結論としては、これからも応援しますがんばれ新海さん、ということです。
剣道における出鼻面の強さについて
出鼻面というやつ、面に面で迎え討ってなぜ勝てるのか。結果的に相面になるのに、後出しで勝てるはずないじゃないか…と、最初は思う。だが勝てる。勝てるのだ!出鼻面が現実勝てるという感覚を得るまで、出鼻面を体得しようという気にはなれないだろうが、その躊躇は上達を遅らせる。出鼻面は優先的に身につけるべきスキルだ。カミュにぶんしんを、マルティナにばくれつきゃくを、少年剣士に出鼻面を。
極まればもう、相手が打突を開始する前、間合いを詰めるなどの予備動作にかぶせてぶちこむことができる。相手はまだ打突を始めてもないのに応じ技だけ炸裂する…最高の決まり手だが、これはレベルの高い話。まずは面に対する応じ技としての出鼻面に納得する所に参入障壁があるので、これを解消してもらいたい。
「相面」という単語をさっき出したが、そこからイメージされる「相対した両選手が同時に飛び込み面を打つ」という場面は、実はほぼ無い。実際にあるのは飛び込み面とそれを迎撃した出鼻面であり、両者は対等ではく、勝つのはほぼ間違いなく後出しの出鼻面側だ。この2つには大きな違いがある。
両者の違いを生むのは、間合いだ。面の速さの律速になるのは切っ先を動かす速さではなく、踏み込みの速さなのだ(この気付きがすごく大事!)。だから、間合いが近いほど速く、遠いほど遅い。一足一刀からの面は最も遅い面、その場で打つ面は最速の面。
迎撃する側は、その難行である間合いを詰めるくだりを相手がしてくれるので、前へ進む必要は一切ない。こんな有り難いことがあろうか!据え膳よろしく戴きますとばかりにその場で打てばよく、出鼻面は確実に飛び込み面より速く踏み込みを終える。つまり先に当たる。
だから安心して面で迎え討て。
イメージ付けに、第六十二回(2014年)全日本剣道選手権の決勝、竹ノ内選手vs國友選手の動画を。7:42~、一本先取した竹ノ内選手が攻め立てる國友選手を呼び込んで、ほぼ同時の面の打ち合いに持ち込んでの一本。同時なら呼び込んだ側が勝つ、の好例。
剣道における応じ技の使い分けについて
出小手とか出鼻面とか、応じ技、使い分けられてますか?ちなみに私は無理でした。剣道しなくなって久しいが、今になって思考が整理されてきた。今剣道再開したら超強いんじゃないかと妄想が捗るがまあ現実そんなことはないだろう。とりあえずまとめておく。
下の図は、相手方の打突動作を時間で切り分けたときに、発動可能な応じ技のタイミングをまとめたもの。
相手方の打突動作を「振り上げる」「振り下ろす」の2挙動に分けて図にしたものの、実際には僅かなタイムスパンでしかなく区分は無理なのだが…。生物の反射運動には有限の時間間隔を要するので(脊椎反射だとしても!)、相手方の打突動作を視認してから出鼻面や出小手で応じるなんちゅうのは不可能で、相手方の動作前半で応じる動作を起こせているなら、実質は相手が動き出す前に察知していて、かつこちらの対応も確定できているということ。対して、相手方の動作後半から発動させる技は、相手の打突開始を視認してから発動してどうにかしているタイプなので、質的に大きく異なる。ということを言いたい。
・出鼻面
一本を取れるタイミングが最も広く、相手方の技の種類に対しても適用範囲が広いのが特徴。まずは出鼻面を打つことを想定して駆け引きを行うべき。
特に、相手側が打突前の仕掛けをしている段階で発動した出鼻面は、相手側が本チャンの打突動作を始める前に決まってしまう、先々の先による理想の決まり手である。実例としては先日の全日本大会の前田選手vs竹下選手が素晴らしいので下に動画を置く。出鼻面の名手同士による応酬が見れる名勝負である。
まず前田選手が1:32~で決めるのが、やや出遅れて発動させたにも関わらず先に当たる神速の出鼻面。
次いで4:49~に竹下選手が面を返すが、これは前田選手に打突の気配はなく、単純な飛び込み面に見える。単に居着いたところだろうか、或いは当事者にしか感じられない動作の起こりだったのだろうか。
そして三本目は11:32~、竹下選手の面。攻めようと間合いを詰める前田選手の、踏み込む動作に合わせて面。前田選手はまだ打突しようともしてないが、これもまた出鼻面、というかこれぞ出鼻面の真骨頂だ。
前田選手が見せてくれたように、発動が相手方にやや遅れるタイミングであっても優位な相面となり、一本にしてしまえるのが魅力。また相手方の技が面でなくてもどうにかなるのが大きなメリットで、よしんば面が当たらずとも相手の仕掛けを潰してしまえる。強い出鼻面があるとイメージさせるだけでその後の駆け引きを大いに優位に進めることができるので、序盤で1発くらい見せておきたい。
リスクといえば出鼻を捉えたつもりが相手方の誘いに乗ってしまった形になるのが最大のリスクで、そりゃもう出小手返し胴されるがままである。(下で紹介する動画の、内村選手にやられる竹下選手のように…)
・出小手
美しい技である。相手方より先に発動し、技の起こりを完ぺきに捉えた小手の見事さといったらない。
出鼻面に比べると、少々発動が遅くなっても決めてしまえるのがメリット。打突部位が中段に構えた竹刀の位置に近く、なにせ捉えるまでの時間が速いので、相手が面とわかっている場面ならば出小手が最も確実だ。例えば面を誘って打たせた場面。
小手を外してしまっても、即ひっついて後打ちをもらうリスクを低くしやすいのも出鼻面との比較で利点になるトコロの一つ。
一例として、先日の全日本の内村選手vs竹下選手の内村選手(8:50~)。厳しい攻めから面を誘い、相手方とほぼ同時に発動。床を叩く動作は正剣ではないが…おもくそ叩き込んだ感が爽快。
有用な割に比較的習得しやく、中学生くらいまで猛威を振るう。
対して、相手の技が面でないと当たらないのがシンプルなデメリット。また、なにせ相手方の手元が上がっていないといけないので、先々の先には使えない。
出小手狙いバレバレの初級者は誘い出されて相小手面の餌食。この洗礼を味わってからが剣道の駆け引きの始まりだゼ、青少年たちよ。
ところで出小手や抜き胴は後の先とされがちだが、相手をコントロールして放つそれらは、先の先と呼ぶべき技だと思う。
・抜き胴 ~ 返し胴
体を切り裂く動作が超カッコいい。最強のメリットだが太刀筋が複雑で初級者には困難な技である。
こちらの動きが大きいので、相手に対応されてしまう可能性が高いのがデメリット。対策としてギリギリまで引き付けてから発動させる必要がある。相手の起こりが完全に読めている場合でも、同時~以降に発動するよう待たなければならない(面か小手なら相手より先に発動していい)。タイミングはシビアだが、面を除ける動作が組み込まれているので、被弾のリスクが少ないのが実用上のメリット。(相手が面でなく小手だった場合、喰らいます。先日の全日本決勝の内村選手のように…)
実例はこれも上の動画(内村選手vs竹下選手)で、9:05~内村選手の2本目が見事。勝負!の掛け声から一気に間合いを侵略し、面を誘って返し胴。発動は1本目の出小手よりわずかに遅いが、それ故に完璧に捕らえている。
・返し面、擦り上げ面、余し面、など。
相手の技の起こりを視認してから発動する技たち。これが後の先。相手の技を捌いてからの打突なので被弾のリスクが小さいが、相手方も避けるチャンスがあり結構決めにくい。相手の技の起こりを十分察知できている場合は出鼻面か出小手のほうが確実なので、誘ってもないのに相手方が自主的に飛び込んできたところを仕留める技と理解するとよろしかろう。実例としてはまた先日の内村選手、vs齋江選手の2:30~。遠間からのやや強引な飛び込み面に対し、見事な返し面。内村さんにはもう面打っちゃだめだ。出鼻面、出小手、返し面、この人は脊椎反射でどれでも出せる。
仮面ライダーを見る
子供が仮面ライダーを楽しむ年頃になり、今季やっている仮面ライダー「ジオウ」を最初から一緒に見始めた。子供向けと高をくくっていたが、実際子供向けではあるものの、しっかり楽しめている自分がいて要は自分は思ってたより子供なんだなぁと思った。率直に言って妻が見ている朝ドラを一緒に見るより遥かに楽しい。男は歳とってもガキなのだ。
ちなみに自分がヒーローもの現役のときに見た仮面ライダーは「BLACK RX」、平成ライダー初代の「クウガ」が登場したときはもう中学生で背伸びしたい年頃が興味を持つこともなく、それ以来まったく見ないで今まで来てしまった。自分が仮面ライダーを楽しめることに今更気づいてしまって、慌てて過去の仮面ライダーを見直している。
仮面ライダー BLACK(1988)
・RXを鮮明に覚えているので、BLACKも知っているつもりだったが…見直してわかったことに初見だ。ガキ時代の記憶はあてにならない。
・今見るにはかなりきつい。映像だけでなく、ストーリーも、役者の演技も。演技については、リテイクのコストが今より高かったのかもしれない。何事も過去の遺産をもとにブラッシュアップされているものである。いや真剣に馬鹿にしたい意図はなく、これが当時のフロンティアだったってことを言いたい。映像はともかくストーリー作りや演技すら進化の途上にあるってのは理解されてない部分だと思うので、過去の歴史を知れるのはオタク的に価値がある。
・決め技が「ライダーパンチ → ライダーキック」のコンボのみなのは古典の王道だが、オチが固定されてるって話作りを致命的に縛るんだよね。昔からぼんやり感じてたけど、やっぱりこの方式には限界があると思った。普段の放送でもそれなりにピンチの場面を作るので並の怪人にもそこそこ苦戦するわけで、敵幹部クラスがいつもより強いことを表現するのが難しい。新しい技で倒すとか戦略で倒すとかは話のフォーマットとして無いので、偶発事故で終わったりして肩透かし感ひどい。続けて見れば、RXでこの問題に解決を試みてるのがわかります。
・てつをマジ男前。イマドキのナヨナヨした若手俳優とはぜんぜん違うぜ。まぁ、歌はあれだが。信じる奴がジャスティス。
仮面ライダー BLACK RX(1989)
・私が現役でみた唯一のライダー。これも今見るにはちょいと厳しいけど、変身しただけで自分ちょっとテンション上がるので、やっぱりヒーローってってスゴイと思った。
・ロボライダー&バイオライダーの設定が無敵すぎてネット的にはネタにされるが、改めて見れば番組の範疇で違和感はない。現代は能力バトルってやつが方法論化されすぎたんだよ。明確に志向したのはジョジョ第三部(1989~)、方法論まで落とし込めたのは幽遊白書テリトリー編(1993~)くらいからで、主人公側が特殊能力で戦うのは当時は珍しかった。その黎明期に思いつく限り強い能力を主人公に与えるのは当然だし、剛のロボライダー&柔のバイオライダーって組み合わせは合理的ですらあった。スキがなさすぎるって思われるのは現代の慣れた受け手には仕方ないところ。能力バトル黎明期の鬼子だったのだよ。
思い返せば石ノ森章太郎御大はサイボーグ009で時代を遥か飛び越して能力バトルをいち早く始めた御方。御大が無敵の能力をこのタイミングで提示してしまったというのは、中々感慨深いではないか。
・ 空白期間をおいて復活した仮面ライダー、平成シリーズの第一弾。主題歌には「ゼロから始めよう」「伝説は塗り替えるもの」「俺が越えてやる」などなど挑戦的なフレーズが並ぶ。歴史あるシリーズを改めて始めんとする造り手の熱意は明確、その意気や良し。
・バイクに乗って登場し、ベルトで変身して、怪人と戦って、キックで斃す。真面目に考えれば失笑モノの仮面ライダー的要素を、一定のリアリティが求められる現代劇の中で成立させるという企画意図は実に共感できる。企画にここまで明確な目標を提示し実現したというのは、社会人目線で関心する。
・劇中で「仮面ライダー」の名称が一切出ない。このネーミングも、よく考えたら現代的にはキツいよねぇ。仮面を着けてバイクに乗る人、仮面ライダー。・・・。語の与える印象は時代によるので石ノ森先生は悪くないけど、現代の感覚でキツいのは確か。作品タイトルとして未だにこの名前が使えるというのは、この名前が語源を越えてヒーローの代名詞にすらなっているという価値を示しているものの、リアリティを持たせたい劇中で発するにはちょっと…というジレンマがあるわけで、以降のシリーズでも「仮面ライダー」の呼称を使うにはそれなりの配慮が見られます。
・オダギリ氏もさることながら、一条刑事も相当なイケメンと思うのだけど、その後の活躍ぶりにこうも差があるのは芸能界の苦労が忍ばれますなぁ。
仮面ライダー W(2010)
・クウガを見て、現行のジオウを見てるので、中間くらいの年代で人気のあるWを見てみた。年代的には中間だが、もはや古臭さは感じない。2001~2010年の間にこんなに時代が変わったのかぁ。それでもジオウとCG技術の差は歴然。つうか低予算の週間連載レベルでできることとしては、ジオウのCGってすげぇのかも。ゲーム機で言えば、クウガはPS初代、WがPS3の時代。PS3とPS4の差って小さい気がするけど続けてみるとやっぱり違う。テクノロジーは日進月歩であるなぁ。
・探偵物語にライダーがめり込んでいるドラマ、話自体で起承転結ある魅せれる形に仕上げているので、ひとまず面白い。このくらい仕上がった脚本を週間連載するって昔は無かった。テクノロジーじゃないけど、これも時代を追って番組を製作する何かの技術が変わってるんだよな。
・終盤は戦闘力インフレ気味。序盤は能力のバリエーションと使いこなしで勝つような形にできてたので、これが続いてくれた方がスキだったけどねー。
剣道における手の内について。或いは茶巾絞りの正体。
剣道の手の内について訥々と思考していたところ、シンプルかつ論理的な理解にたどり着いた。せっかくなので記録しておきたい。
きっかけはホーリーランドという漫画だった。ご存知だろうか、、、まぁ知らなくても構わない。柔道、空手などなど各種の格闘技経験者がケンカで戦う内容で、それぞれ特有の技術について、理屈っぽい解説が入るのが見どころだった。この中に剣道も登場して、剣道未経験者の筆者さんなりに、剣道の手の使い方が素人とは異なるという考察をしていた。この内容、剣道経験者にはどう感じられるだろう。
さてさて。左右の手の間に回転中心を置いて手の位置関係で振るので可動域や速さがスゴイ、という論旨だが。ちょっと違うと感じた剣道経験者の方は多いのではないだろーか。いや実際こんな事しないし…。私も最初はそう思った。でも本当に違うだろうか?
(これをテコと呼ぶか?について、物理屋的な疑問はある。いやそれよりも、面フェイントからの胴を「面抜き胴」と呼んでいるのが一番気になる。)
小さな振りでキレのある打突のできる人をよく観察してみるとわかるが、打突の瞬間左手を引いているのだ。左右の手の間に回転を作っている。というか思い直せば、自分も知らんうちにやっていた。そのように教えられた人はほぼいないだろうが、長くやってる人の多くが無意識のうちに、この手の使い方にたどり着いている(特に上手な女性剣士に顕著だと思う。腕力に頼れない分、男性より合理的な動作に到達しやすいのやも)。
試合用の小さな振りではメインエンジンだし、素振りの大きな振りでも肩・肘の動作に加えて剣を加速させる強力なブースターになっている。森恒二やるじゃん!
だがここで思考をやめては理解が浅い。回転で加速する手段はもうひとつある。それが手の内だ。
掌(たなごころ)の中に回転中心を見て、小指で引きつつ親指の付け根で押す。手の内側だけでも、回転を増す力を加えることができる。
振り上げた時、小指は開いている。親指付け根の押し込みに合わせて、開いた小指をぐぃと握り込む。手首で振っているのでないことは強調したい。指は握りっぱなしではない!指の一本一本を柔軟に開閉し、掌の中で剣を回転させている。これが、手の内というもの。
もちろん、右手でも同じ。
「竹刀は小指で振る」と教えられる理由がここにある。小指が回転力の源だ。対して回転力に寄与できない人差し指は添えるだけ…むしろ振り上げ時に握ったままでいると、剣の動きが手首の可動域に縛られる。邪魔なのでもう握ってもいない。
実際には、「左右の手の位置関係」「左の手の内」「右の手の内」、三つの回転の力を同時にかける。体得すれば下のような肩も肘も使わない振りだけで、風切り音が鳴る程に速く振れる。
「両手の位置関係で振る」の観点があるので左右は対称ではなく、左手は小指側で引く力、右手は親指の付け根で押し込む力、が相対的に重要にになる(小手を着けた状態ではここまで精妙な指使いができないので、特にそう)。振り上げたときに木刀から浮く指が、左手は人差し指1本なのに対して右手は中指まで2本浮いているのは、その影響。
ところでこの「左右同時に小指を締めつつ親指の付け根で押す」という動作、剣道経験者諸氏なら今さら言われなくても、もう教えられているんじゃないだろうか。そう、茶巾絞りである。打突の瞬間に両手を絞り込むとキレが増すという、誰もが教えられたであろう言い伝えだ。茶巾絞りの実質を実践できている人でも、ここまでのような理解をしている人は少ないと思うが、そういうことなのですよ。
剣道もいまだ古典武道の空気を残していて、経験的に間違いないんだからだまってやれ!という感じで、教えになぜ?とは問いにくいもの。私も茶巾絞りに効果があるのは実感できているが、その理屈について納得行くものには出会ったことがなかったので、自力で考察してみた次第。そこに理があるのもまた事実である。
2018年夏に出会った知らない昆虫
休みは子供と遊ぶ以外の選択肢はなく、まだ子供が虫取りに行く歳でもなく、ひとりで虫撮影にも行けない日々。それでも知らない虫にはたまに出会うし、そんなときは人目も気にせずスマホで撮影するようにしている。イマドキはスマホのカメラもなかなか優秀で、後で同定できる程度の写真は撮れる。いい時代だ。自慢するほどの写真でもないものの、せっかく同定した名前の記録としてブログ化しておく。普段の生活でもこのくらいの虫には出会っているという自戒も込めて。
コフキゾウムシ。少し藪に入ったところ。スマホで撮るには小さすぎる。
オオアオゾウムシ。同じく少し藪の中。
オジロアシナガゾウムシ、別名パンダゾウムシ。職場にて。圧倒的に別名で呼びたい、本名は特徴の本質を捉えてなさすぎだろう。
ベニカミキリ。公園にて。知らない子たちがクモだと騒いでいた。こんな美しい虫を、、、どこを見ているガキども。
ヨツスジハナカミキリ。自宅前にて。直感的にトラカミキリと呼びたいが、それはまた別にいるよう。
ゴマフカミキリ。自宅前にて。ちょっと美しさに欠ける。
オオコフキコガネ。色合いがあまりに地味で、ふつう出会っても名前を知りたいとは思うまい。
サクラコガネ。職場にて。ふだんならカナブン系ですませるところを、がんばってみた。
このあたりは同定が難しいが、スズバチかな。交尾中のレアな場面、逃げるより交尾を優先していたようで撮りやすくてありがたかった。
ナミルリモンハナバチ。神戸の実家にて。被写体の美しさのおかげだが、スマホにしてはなかなかの写真ではなかろーかと自画自賛。