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本と、その他諸々のこと。理系的なこと。

映画速報 「GODZILLA ゴジラ」

さあさあハリウッド版ゴジラのリベンジマッチ、GODZILLA公開です。トカゲなんかに興味はねぇと日本のオタクがみんな思ったあの悪夢のようなエメリッヒ製ガッジーラはすっぱり忘れて、まっさらな気持ちで鑑賞。カイジュー映画は去年のパシフィック・リムがかなりきっちりやってくれましたからね。この流れに乗って、満を持しての本命登場と為るや否や。
で、冒頭から原発が破壊されて、おやおやちゃんと初代ゴジラを踏襲するんですねって思ったら真相はゴジラと無関係だったりするスカシっぺかましてくれます。原発の周囲が非難区域になったり、大津波が起こったり、これ震災イメージぶち込んでみただけだろ。まー核の化身なんて設定は国産ゴジラも早々に捨て去ったものだし、アメさんが受け継がなかったからって文句を言える筋じゃないんだけどね。渡辺謙の役も芹沢猪四郎博士なんて名前でオマージュだなんて言われてるけど、この役どころも意外と大した仕事しないし、パチモンくさい名前出して遊びたかっただけじゃねぇ!?
ストーリーを概観すれば、結局はハリウッド御定まりの軍人さんの勇気とか家族愛とかで、まあ平凡。でもでも、冷戦時代の核実験にトンデモ解釈つけてたあれ、あの発想だけは、サイコーだったね。そっち系の路線で突き進んでくれたら良かったのに、ボンクラな思想が見えるのはそこだけ。惜しい!
なお、敵役のカイジューは変なオリキャラとかいいからラドンアンギラスあたりにしとけよ、とも思った。


と、ひと通り突っ込んどいてなんですが、これは劇場に見に行く価値のある映画です。
なぜならゴジラがでかいから。
でかいことは素晴らしい。でかいというそれだけで、人が如何に強烈な印象を受けることか。元祖ゴジラウルトラマンガンダムも、要はでかいから人気なのだヨ。そして今回のGODZILLA、兎も角このでかさの演出には心血注いでて、空母や橋の対比物を配して、ひたすらでかいを強調し続ける。あの咆哮を翻訳するなら、「オレの方がでかいんじゃオラぁーーー!!」ってとこでしょう。吼えるゴジラは声まででかい!ああゴジラはなんてでかいんだ!
皮膚の質感や重量感まで含めて、バカでかい生物が目の前にいるって臨場感、これこそが特撮がCGに勝てなかった所以でもあって、国産ゴジラが最後まで獲得できなかった部分。これを全力で体感できるのだからそれだけで十二分価値がある。

でも、でかさの体感が目的なんだから、劇場の大スクリーンで見ないとダメだ。レンタルで家のTVで見たら、でかさ激減だからな。でかさがなかったらちょっとキツイからな!GODZILLA見るなら劇場で!!

読書録16: 「自己組織化と進化の論理」 スチュワート・カウフマン

自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 (ちくま学芸文庫)

自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 (ちくま学芸文庫)

 

 ランダムな事象が大量に集まると、総体のふるまいに一種の秩序が現れる・・・「複雑系」の概説本。複雑系はカオスやフラクタルにも通じるけど、そういうのよりもっと現実的な、じっさい目にするできごとを説明するための理論だ。この本でのターゲットは生命発生と進化、これを数学脳で再解釈する…おぉそんな事ができるのか。既存の理解の仕方を、ガラッと新しい別の枠組みに置き換える試みで、こういうのが上手くいくとスカーッとする。これぞ理解する喜び!

序盤の生物発生の話が、特にキレキレで大好き。
生物細胞の中で起こってる化学反応は超複雑。分裂する時には中の分子が全部倍に増えるが、この経緯が理解不能に複雑で、ある分子Aはある化学反応の触媒になって、別のある分子Bが生成されて、その分子Bが触媒になって分子Cが生成されて・・・の繰り返しで全部の分子がきっちり複製される。目的意識のない偶然の産物で、そんなんできる?いくら時間の淘汰を経たからったって、そんなのむりむりむりむりかたつむりよ!
で、そこで複雑系の出番。この細胞の触媒サイクルをもう一度ゼロから再現しようなんてのは確かにかたつむり。ここは一度頭を切り替えて。
何の意図もなく適当に拾った分子Aにも、何か触媒できる反応のひとつくらいあるだろう(たぶん)。それでできた分子Bにもまた、生成を助けられる分子Cがあるだろう。こんなことがずっと続いてたら、最初の分子Aを生成できる分子Zもいつか登場するんじゃね?という話。ここには最終的に生物を作ろうなんて大それた目的はいらなくて、ランダムな触媒作用が累積するだけでいい。とにかく分子の種類さえ多ければ。分子がいっぱいいっぱい目も眩むほどいっぱいあれば、いつかは触媒作用が閉じたサイクルになる。ここでネックになる分子の種類ってのも、数種類のアミノ酸がランダムに重合したポリマーなら、順列組み合わせで種類は無限にできるというマジック。どんなサイクルになるかは、やってみないと分からないけど、何某かのサイクルはたぶんできるし、結果出来上がったのが偶々、今ある生物細胞だったってこと。この理解からいくと、もう一度生命のスープを作ったら、きっと今とは違うサイクルができて、今とは違うシステムで動く生物が進化したかもしれないって訳ですね。

こんな風に、ランダムが山と積もったら秩序が浮き上がってくるのが、この複雑系の考え方。イカにも色んな現象に当て嵌めれそう。この本の中でも色々やってるけど、経済学とかインターネットとか、色んな応用されているよう。

ただ、今ある物の解釈の枠組みを変えることはできても、新たに何かを予測するって形で機能してないようで、そこはまだまだ複雑系の未熟なところ。伸び盛りって感じで、むしろアツイっすね。

読書録15: 「赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由」 ニコラス・ハンフリー

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由

 

 感覚ってナンなのか、を解き明かそうとする本。

自分が感じていることは、周りの人と全然違うのかも。なんて不安を持ってる人、実は結構いるんじゃなかろうか。例えば、僕が赤いと感じているモノを見て、他の人は「僕にとっての青い感じ」を感じているとしたら。「感じ」が違ってても、「赤」と同じ名前で呼ぶので、コミニュケーションは取れる。でも「感じ」の比較はできっこない。こりゃ永遠の謎だ。こんな悩みに囚われてると、世界を共有できない疎外感とか感じてしまって、実に生きにくい。
この本も、この疑問に結論を出すのが難しいのは認めてる。それでも確実に言えることを積み重ねていけば、余計な霧は晴れてくる。すると、どうせわかんないけど、そんなもんだよ、なんて開き直れるようになった。モヤモヤしてる人は読んでみるのがオススメだ。
ただし、絵本のような装丁に騙されて軽い気持ちで読み始めると、開始2~3ページで振り落とされるんで、そこんとこは注意だぜ。

 

例えば赤いものを見るとき。厳密には2つのことが起こっている。
・赤い光を検知すること
・アタマの中で「赤い感じ」を感じること
この2つの区別が飲み込めない?読み通すにはココ大事なんで頑張りましょう。赤を「あの感じ」に感じるのは、実は当然ではないのだよ。
赤の光とは、波長700nm前後の電磁波。電磁波の波長と、色彩の感覚ってのは人間の脳が勝手に関連付けたもの。電磁波を検知することと、頭の中にあの色の感じを想起させることは、別個のことなハズだ。
そんなの机上の空論、かと思いきや。はたして、脳の機能としても完全に別々に処理されてるんだそうな。その証拠に、後者の「感じ」だけを失う「盲視」という脳障害があるんだと。この障害の人は、何も見えない、何も感じないと言いながらも、視覚情報は認識できていて、ちゃっかり見えてるように行動できるという。そんなの哲学的ゾンビじゃーん!!

著者さんはこの盲視の研究で名を成した人なので、このくだりの筆致が実にアツイ。脳と意識の話はまだまだ解らないことだらけですが、だからこそのフロンティアな熱気が伝わります。

 

認識と感覚が別モノならば。認識できれば十分だろうに、感覚は何のために進化してきたんだ・・・ってところに話は進むんだけど。この4章、感覚の進化過程の考察については、個人的にちょっと違う気がするのでメモしておく。
まず本書での結論をまとめると。
1.原始、生物は外部からの刺激に体の部分部分で場当たり的反応を返すだけだった。
2.外部刺激と反応を統括する司令部ができた。この時点では脊椎反射のようなもの。
3.司令部のために刺激→反応のループをモニターするシステムが構築される。
4.司令部が意識を成し、意識が外部刺激に対する反応を統括する。
5.仕事を無くした刺激→反応機構が変質し、刺激→感覚機構になった。
ここでは、意識が体の反応を完全に統括しているイメージ。でも、近頃の学者さんの見解では、どうやら意識は行動をほとんど管理してないらしい(デヴィッド・イーグルマン著「意識は傍観者である」あたりを参照)。意識が反応を統括してないとすれば、話は簡単。3で終わりだ。刺激→反応の機構はまだまだ現役で、意識はその仕事の一部をモニターしてるだけ。この本の中では、「感覚が物理的な機構にもとづく反応だ」ってことが言いたいので5を結論にしたいんだけど、4が成立しないなら5は起こらない。そうじゃなくて、意識が刺激をモニターした結果が、つまり感覚のことなんじゃないかな?

うる星やつら2 ビューティフルドリーマー 鑑賞メモ

 押井映画咀嚼シリーズ。時系列で気になるところを列挙。

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー [DVD]

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・冒頭。崩壊した世界と、はしゃぐラム。後半場面の倒置で見る者の緊張感を煽る。ここまで含めてループしてるって解釈もできますな。結論は不定
・改めてのオープニング、校舎の時計が壊れている。ノン、時間が壊れてるのサ。
・学園祭の準備に走る生徒たち、コスチュームにゴジラウルトラマン関連が多い。配給が東宝だからね!当時のアニメオタクは特撮オタクを兼ねていたのだ。X星人なんて今どきの子にはわかるまい。
・夜の買出し。静まり返った街の違和感。あたるが文句言うから、とりあえずチンドン屋が出てきた。。
・ちょこちょこいる帽子の女の子は「Talking Head」の貞子と同列のモノ。つまり、映画内世界を客観視するモノ。今回はこの世界のヌシであるところのラムの本体という意味が付いた。出現箇所は以下の通り。
 ①チンドン屋のうしろ、②ボイコット貫徹!、③電車内メガネ横、④風鈴屋うしろ、⑤フランケンあたる、⑥DNAっぽいのの上
・ラム、ずっと今が続いてほしい発言。事態の真相に関わる伏線。うる星って日々のバカ騒ぎを垂れ流す話なわけで、いつまでも進歩しないところが魅力。それを好き好んで見ている視聴者もラムと同じ心理。だがそこで、繰り返される今を打開する…要はいい加減進歩しろ、という作品コンセプトのキモを示している。隠れメタ発言。
トランキライザー精神安定剤の総称。
・ループ対策で生徒全員家に帰した後、さくらさん夢邪鬼と遭遇。夢の維持に邪魔なさくらさんを消しに来たと思われる。さくらさん反撃で勝負は持ち越し。
・なお、温泉はあっさり消された模様。
・なお、チェリーは温泉より先に気付いて、既に始末されてた模様。
・それぞれの帰路。他人が一人もいない電車、バス。人混みでウルサいのが自然なのに。非日常的な違和感。 
・翌朝、結局今日も学園祭前日。
・みんなで登校中、水たまりに映った魚。魚はコミュニケーションの偶像(らしい)。
・しのぶ風鈴まみれ、のち、窓からしのぶを見る人。ファンを悩ます意味深な演出ですが、たぶん大した意味はない。製作者も回収しきれなかった伏線と思われる。窓から見る人は、物語を外部から俯瞰するモノってところで読めば、帽子少女と同じニュアンス??ファンの願望として全てに意味を求めたくはなるが、解釈できるだけの情報が無いので無理に読まないことです。ただ、この映画を一貫する、白昼夢のような空気感の演出としては、サイコーです。
・夜の校舎へ突撃。さくらさん曰く3階建て校舎が4階建てに…。でもよく見ると、階数はシーンのたびに違う。ちなみにTVシリーズでは2回建て。どれが本物??
ハリアー後、学園祭前日ループは脱したが、また意味のわからん毎日が続いている。スーパーの借用書の数から察するに、既に相当日が経っている。
・メガネ独白。廃墟、静止した鳥。押井作品はあっちこっちに鳥がいる。特にこの画はイノセンスのキム邸で再利用。
・みんなで観てる映画は初代ゴジラ。芹沢博士がオキシジェンデストロイヤーもって潜るところ。これも東宝つながりですな。
・ラムと夢邪鬼の対話@水族館。ええ、会話と言えば魚です。
・あたるvs夢邪鬼の夢対決。TV連載第一回の鬼ごっこにも言及していて、この映画がうる星を総括する、最終回としての色を帯びていたことがわかります。
・夢邪鬼曰く、「わての夢は現実と同じなんや。せやからそれは現実なんや。」これは攻殻やアヴァロンに通じるテーマ。楽しい高校生の日々をずっと続けるのは確かに夢だが、そこには何の進歩もない。ここで夢を選ばないのは、進歩のない繰り返しの否定。うる星のコンセプトそのものの否定。それを飽きもせず見続けるオタク共も、もろともに否定している。
・「責任とってね。」曖昧で意味深でステキなキメ台詞。変わらないという夢を諦めるんだから、ちゃんといい方に変わってネ、とのご意見でしょうか。
・ぎりぎりでラムの名を呼んで、会いたいと認めるあたる。
・珍しく真顔のあたる、キス失敗。夢から覚めてちったぁ進歩しかけたか?してない?
・映画の終わりにやっとタイトル「うる星やつら2」
進歩のない夢が終わった。ようやく始まりますよ、といった風情。 うる星のコンセプトまで否定したので、もはやTVシリーズは続けられない。やはりこの映画が実質的な最終回。お金出すえらい人たちは、こんなドル箱シリーズをやめるつもりなんて無かった訳ですが。
・ラストカットの友引高校は2階建て。TVシリーズは2階建てだから、元に戻ったのかも。でも、さくらさんの発言を信じるなら、これもTVシリーズも、全部夢の中ということになってしまう。複数の解釈の余地を匂わせたまま、映画は終わる。今が夢か現実かは、結局、断定できないのだ。

 

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人狼 鑑賞メモ

押井映画咀嚼シリーズ。 攻殻と同時期の作品、セルアニメ最後の戦い。

人狼 JIN-ROH [DVD]

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・全編でモチーフになる「赤ずきん」の物語はもともと、赤ずきんが狼に喰われるだけのお話。無垢な少女が理不尽にも食べられるカタルシスが本質だ。 猟師が狼をやっつけて助けるくだりは、子供用にあとから追加されたもので、本来そんな救済はないと知っておくこと。

・主人公、伏に、重ねられる狼のイメージ。狼を従える伏。博物館でも背後に狼の剥製。素朴そうな伏の顔は狼に見えないが・・・??主人公は、人か、狼か。匂わせつつも断定しない演出がミソ。

・ヒロイン、圭に重ねられる赤ずきんのイメージ。 赤いフードを被って登場する。 組織名「赤ずきん」、赤ずきんの朗読「女の子は鉄の服を着せられて…」、など。幸薄そうな少女は、物語の結末として食べられてしまう・・・??

・冒頭はセクトvs特機隊。地下道でジバクちゃんを追い詰める、感情のない「装甲服の顔」。 自爆の後、「装甲服の顔」を外して「生身の顔」を見せる伏。
・「なぜ撃たなかった?」繰り返される問いは、「お前は人か、狼か」の問いと同義。人ならば撃たない。狼ならば撃つ。しかし伏の答えは定まらない。訓練場面では「わかりません」、辺見の問いには「俺は撃つつもりだった」、不安定な伏の心理。
・ロッカーネームがカットイン、「ふせ」が「布施」ではなく「伏」であることに注目。にんべんに犬。人狼??
・クライマックス、伏が装甲服を着る。無表情な「生身の顔」が「装甲服の顔」に隠される。ここで教官曰く、「あれが本当の彼の姿だ。我々は、犬の皮を被った人間じゃない。人の皮を被った、狼なのさ」
つまり、装甲の顔(狼)こそが伏の本性。生身の顔(人)は、偽物だったのだ。装甲を 外す / 着ける 行為と、形容としての「仮面を脱ぐ / 被る」は逆転している。遡れば、ジバクちゃんとの遭遇が人の皮を被った瞬間。ここに至ってついに、伏は人の皮を脱いで狼に戻った。
・釣り人の格好したおっさんは、図書館で伏をチラ見したおっさん。電車内の視線のヌシと思われるおばさんもいる。みんな人狼のメンバーだったわけで、様子のおかしい伏は、事態の当初から監視されてたってわけだ。
・冒頭、人の皮を被った伏は撃たなかった。
辺見叫ぶ。「お前だって、人間じゃねぇかぁぁくぁwせdrftgyふじこ」
でも撃ちまくる伏。どばばばば。この時の伏は、まさしく、狼。
じゃあ、、、圭も撃つの? 
 

狼は、赤ずきんを騙して誘い、喰い殺す。

それで終わり。救いはない。

伏は圭を撃つ。

 

彼に、騙したつもりはなかったにしろ…

 

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機動警察パトレイバー2 The Movie 鑑賞メモ

押井映画咀嚼シリーズ。攻殻の次は当然これだ。
機動警察パトレイバー2 The Movie。気が付いた演出抜粋。

 

・冒頭。戦争の前線にいる部隊と、後方で戦争をしているつもりの無い指揮。この映画のテーマに関する問題提起。これが柘植の動機。
・会議帰りのしのぶさんの車。フロントガラスにナビ情報が映る。今実際に検討されてて、実用化できるかもしれない技術。できるとしてもよそ見運転になる恐れがあるので、扱いが難しいそうな。
・足の長いレイバーの警察車両「ロードランナー」は渋滞中でもすり抜けられる。これは便利!
・荒川との会話@夜の車内。街灯がリズミカルに車内を照らしては通り過ぎてゆく。夜の車内は押井のよく使うシチュ。(ex.うる星2のさくらさん&夢邪鬼、攻殻の中村部長&Dr.ウィリス)
スクランブル。コード名「トレボー」「ウィザード」「プリースト」「ワイバーン」はWizardryネタ。
・空港職員名言「じょうだんじゃねぇ~」。ここだけ声優へたすぎないか?
・後藤&荒川、水族館で密談。魚はコミュニケーションの偶像。(ex.攻殻の冒頭、うる星2のラム&夢邪鬼)
・水族館からの帰り、船上の荒川の台詞は、表立って登場しない柘植の代弁。主犯がほとんど登場せず、共感する人間にその目的思想を代弁させる構造はパト1・2で共通。1でその役を担ったのは後藤だが、2では荒川。今回、後藤は1歩引いた位置にいるが、それでもその思想は完全に吸収している。
・荒川名言1「正義の戦争と不正義の平和の差は、そう明瞭じゃない」
例えば朝鮮での代理戦争で生まれた物資需要で、日本はがっつり儲けた。戦争の実態は人に押し付けて、その成果だけはしっかり受け取った。ここで言う、不正義の平和。戦争の前線を他所に押し付けるのが、平和なのか?昨今の集団的自衛権の論争も、こういう視点があれば答えは明白。
・荒川名言2「戦争だって?そんなものはとっくに始まってるさ。問題なのは如何にケリをつけるか、それだけだ。」
不正義の平和を続けてきた日本は、実は戦争の後方にいただけだ。戦争をしていることすら忘れた東京に、柘植は戦争の前線を見せつけようとしている。
・荒川名言3「この国は、もう一度戦後からやり直すことになるのさ。」
嬉しそうに笑う荒川。この笑みは、パト1で帆場を語った後藤の笑みと同じ。
・クライマックス1、自衛隊が東京に配備される。東京が戦争状態に突入。 静かに緊張した東京の街。それでも継続される日常。相変わらずの満員電車。 戦車隊員と記念撮影。日本の戦争は、こんなもん?
・クライマックス2、攻撃ヘリ起動、「ゴングゼロより各機、状況を開始せよ」。コード名が映画冒頭のシーンと同じ。彼らはあの時から今まで、ずっと戦争を続けていた。
・情報と交通が遮断され、静止する東京。日常を継続できない、いよいよ戦争らしい状況へ。
・野明と遊馬の車。二人の関係は漫画版でも濁されたまま終わっていたが、結婚したのかも?少なくとも同棲はしてそう。
・幻の地下鉄新橋駅、実在するらしい。タモリ倶楽部的。
・ここまで演出された偽物の戦争は、自衛隊との決戦などではなく、数名の警察官の突入によって終結する。柘植のねらいは既に完遂されており、再結成第二小隊の突入は、広げきった風呂敷をたたむ作業。柘植も、終わらせてくれる人を待っている。
・しのぶさんと柘植、視線は合わないが手がえろい。ひねくれた大人の恋愛事情。
・犯人にたどり着くラストステージは、鳥まみれ。これはパト1と同じ。表情の無い目、空を飛ぶという行為が、 彼岸に到達してしまった思想犯の象徴なのか。
・そして東京は、偽物の平和を取り戻す。
柘植「見ていたかったのかも知れんな。この街の、未来を。」
結局柘植は、偽物の平和であってもこの街の未来を見ていたかった。東京を否定はしたが、壊したかったわけでもない、否定と肯定の入り混じった答え。

 

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攻殻機動隊 鑑賞メモ

今更だが、押井監督の「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」。気付いた点を列挙。

GHOST IN THE SHELL?攻殻機動隊? [DVD]

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・冒頭、密談シーン。背景には水槽で泳ぐ魚。押井映画では、魚はコミュニケーションの偶像。(ex.パト2の後藤&荒川、うる星2のラム&夢邪鬼)
・ビルの上、少佐いきなり脱ぐ。これは皮膚に光学迷彩を仕込んでいるから。ただし、複雑な器官のある部分(顔と腰周り)は別仕様。
・少佐ビルからダイブ。ぞわっとする浮遊感。この後、高いところからダイブが映画やアニメで流行った。
・少佐に撃たれて弾ける密談おっさんと、割れる水槽。水槽?いや、1枚のガラスのようだ。窓ガラスに映像を表示できるギミックでした。
・OPはサイボーグのメイキング。本編ストーリーとは絡まないが、作品コンセプトを表す。カシャカシャっと乱数的表示から文字が浮き出るクレジットは、マトリックスにパクられた。
・寝起きの少佐がブラインドを開く。ブラインド?いや、真っ黒にしていた窓を透明に切り替えただけのようだ。密談シーンの窓ギミックの続き。
・「人形遣い」の名前は、ハインラインのSF小説が由来。
・チンピラチェイスシーン。少佐は全身義体特有のハイジャンプでビルの屋上へ。着地で床がバコっと凹む。全身義体は生身の人体よりだいぶ重い。原作にもある重さの演出。
・チンピラの光学迷彩は濡れると効かなくなる。少佐はわかってるので、川を撃って水をかけた。
・VSチンピラ格闘。川でばしゃばしゃやってるのに、少佐の光学迷彩は濡れても平気。さすが公安9課は使ってるモノが違う。
・格闘後、裸の少佐に上着を着せるバトー。バトーは裸を意識しているが、少佐はなんとも思っていない。バトーのシャイな気遣いと、全身義体な少佐の身体認識の異常さ。
・スキューバ少佐。全身義体は重くて泳げないので、ずぶずぶ沈むか、道具を使ってぷかぷか、のみ。
・水面に浮かぶ瞬間、水面に映る虚像との接触。曰く、「違う自分になれる気がして」の映像化。「天使のたまご」終盤にも類似表現が有り、こちらも生まれ変わりを暗示した演出である。人形遣いとの融合を予告??
・船の上、またあっさり脱ぐ露出狂少佐と、目を背けるシャイなバトー。
・「私が私でいるには・・・」少佐バストアップから顔アップまで徐々に寄っていく。逆に背景は遠ざかってゆく。レンズを広角側にしつつ寄る撮影テクのアニメ表現。うる星2の、さくらさん&温泉の対話で、同じ演出アリ。
・メインテーマ曲と街の風景。押井映画理論の体現たる、ダレ場。中国的な雑踏は「ブレードランナー」のテイスト。
・ラストのマネキンのカットインは、全身義体がマネキンとどれほど違うのかって問いかけ。
人形遣いを強奪した襲撃者、こいつらの光学迷彩は雨に濡れても平気。つまり公安??
人形遣い捜索シーン、並んでるオペレーターの顔が全部一緒。これは量産品のアンドロイドだからで、こいつらは人ではなく、AI。
・博物館で戦車登場。天窓落としたら、光学迷彩は雨で無効に。さすがにこのサイズには、水に耐える光学迷彩は使えなかった?
・少佐手持ちのサブマシンガンでは、戦車の装甲にはさっぱり効かない。バトー曰く「そんなんでやれる相手か!?」の言葉通り。動き回って弾切れを誘う。
・戦車の機関銃がゴリゴリ柱を削る。これもマトリックスでパクられた名演出。
・さらには樹系図を打ち抜く銃弾。これまでの生命の進化と隔絶した生命の出現を暗喩。
・少佐が義体を壊しながら戦車のハッチを開けようとする。原作(1.5)にもあるアクションだが、原作は遠隔操作のヒト型端末なので、体を使い捨てるつもりで無理をした。対して映画ではメインの体でやってる。体を大事にしない少佐の特異な感覚、更には少佐が人形遣いにダイブすることを命より優先していることを示している。同じアクションでも意味の載せ方が違う。
・バトーが持参したゲテモノであっさり戦車沈黙。装甲と銃器の強弱関係はシビアで、勝てる銃器で撃てば勝てる。映画的な盛り上がりは物足りないけど、リアリティ優先。
人形遣い「僅かな機能に隷属していたが、肉体を捨て、更なる上部構造へシフトする時だ・・・」ネットの海を身体の一部とすることで、義体に貼り付いていた自己認識が開放される。船の上での少佐の台詞「私をある限界に制約し続ける・・・!」への回答。
人形遣いを選んだ少佐は、バトーの誘いを蹴ってひとりネットの海へ。「ネットは広大だわ・・・」

 

続けて似たようなことしてます。

 

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