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本と、その他諸々のこと。理系的なこと。

「風の谷のナウシカ」漫画を読み返して

 漫画版ナウシカ、傑作。

文明が滅んだ後に人類が細々と生き延びてる設定、今の若者が見たらどう思うんだろう。突拍子もない設定だと感じやしないだろうか。連載された1982年2月~1994年3月、当初は冷戦の最中で、核戦争で文明が滅びる未来は今よりは現実味があった。私は当時子供で冷戦なんてよくわかんなかったけど、そのうち文明なんて滅んじゃうんじゃないか、っていう空気は感じてたと思う。フィクションのネタにもよくなってた。例えば北斗の拳も「199X年、地球は核の炎に包まれた~」とかそんな設定だ。
参考まで、ソ連崩壊は1991年。1980年代を生きた人は、戦争で文明が滅ぶ想像をよくしていた。

トルメキアと土鬼の2大国による戦争も、明らかに米ソを模している。腐海を武器として使い、不毛の地を自ら拡大する、これは核の比喩。なおチェルノブイリ原発事故は1986年だ。

最近は文明が滅ぶなんてあまりリアリティのある設定ではなくなったかもしれない。でもそれってすごいことだ。紛争はまだまだたくさんあるし、相変わらず人類は愚かだけど、争いの少ない世界に少しづつ向かっている。(これは異論がある人もいるかも知れない…でも実際、暴力は減っているそうだ。スティーブン・ピンカー著「暴力の人類史」を参照)

終わりのない人類の愚行、作中で絶望感を持って語られるが、人類もなかなか頑張ってるじゃないか、もっと人類に期待してもいいんじゃないか。時間を空けて読み直してみて、そう思った。

腐海放射性物質の他に公害の比喩でもあるが、これもそう。1970年台までは日本も公害がひどくて、今の中国とどっこいだった。でも今では企業もかなり対策してきたし、日本で公害に悩むことなんて少なくなった。瀬戸内海なんかはきれいになりすぎて、栄養価が足りなくて海苔が不作になったりしてるそうだ。公害に苦しんだ世代からしたら、ちょっと笑っちゃうような悩みじゃないか。少しづつでも世界は良くなってる。絶望なんてしなくても大丈夫だ。

 

 

宮崎駿共産主義だったそうだ。というかあのくらいの世代の教養ある爺さん達は、だいたい共産主義に何らか理想を見てたようだ。資本主義が唾棄すべき浅ましさを持っているのはわかるが、現実問題として共産主義では経済を成立させられないことが、今では証明されてしまった。連載途中にソ連崩壊を見て爺様たちは何を思っただろう。

「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」大昔の言葉だが、スターリン毛沢東も見事にこの通りになってしまった。宮崎駿は、ナウシカですら例外ではないと考えたようだ。皇兄ナムリスに言わせている。

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後味の悪いセリフだけど、この後もこれを否定する展開はない。そして散々引っ掻き回した挙げ句のナムリスの放言。

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ヒロインにこんな言葉を投げる作者があるか。純粋な善意のヒロインではこの世界を救えないと、これは相当に悩んでる。最終的に、ナウシカはちょっと衝撃的なレベルの「破壊」を選択するわけだが。

 

 

おまけ。

メーヴェに垂直翼がなくて不安定そう問題。実は1巻冒頭では羽の中ほどにあった。

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でも1巻53pではなんかちっさくなってて…

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1巻の最後にはなくなっている。

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飛行機オタクの拘りより、デザインを優先したのかな?