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本と、その他諸々のこと。理系的なこと。

Avalon 鑑賞メモ

押井守監督作品「Avalon」のメモ。

 

・冒頭は黙々と戦闘シーン。大作の予感が走るが、派手なアクションはここだけなのだよ。実はけっこう低予算。

・Log offするアッシュ。メガネの陰気な女。ゲーム内との落差。

Avalonはゲーム内のスコアが現金になるゲーム。近頃はeスポーツとか言ってゲームで食う人もでてきたけど、大会の優勝賞金を狙うスタイルなのでコンスタントには稼げない。日々のスコアが現金に直結するシステムにはならんもんかなぁ。

Log inにコストを掛けさせてプレイ結果に分配する形式ならできるけど、ゼロサムゲームでは弱者が搾取されてすぐやめるだけで、長期的には成立しないだろう。パチンコは勝てないのが前提のやくざな世界だし。プレイの観戦に課金させるシステムで、観客数に応じてプレイヤーに利益が還元されるとか?これではゲーム実況Youtuberか…。純粋にスコアが現金化できるシステムほすぃ。

・ゲーム施設から出ると、街の人は直立不動。不自然な町並み。

・アッシュの家にはまた押井ガブリエル。

・早々のダレ場。これまでのシーンの継ぎ接ぎだし、これはさすがにダレすぎ。攻殻とかはちゃんとダレ場用の画を作ってたのに…

・スタンナ登場、マズそうなメシ。

・最強チーム「ウィザード」時代の過去。アッシュ以外の仲間はスタンナ、マーフィー、コッパー、カシナート、マッシャー。基本、ウィザードリィからの引用が多い映画だ。カシナートの剣は回る回らない論争で有名。メイジマッシャーって武器はあったな。コッパーは??

・「ファイター」「ビショップ」「シーフ」「メイジ」のクラスは今では定番だけど元々ウィザードリィが提示したもの。銃火器の世界でどう違うのかようわからんが…

・マーフィーがゴーストを追ってロストしたとかどうとか。ウィザードリィマーフィーズゴーストなんて名物モンスターがいてね。。もう少し言うと、ウィザードリィ用語で死んだキャラの蘇生に失敗すると灰(ash)になって、灰からの蘇生に更に失敗すると消え去ってしまう。これが「ロスト」。

・パソコンで何やら検索するアッシュ、薬指と小指を使わないキーボード操作に違和感。この映画の公開は2001年、WindowsもOSは2000の頃で、まだ誰もがPCを使いこなしているとはいかない時代だった。役者さんにブラインドタッチが求められないご時世。

ゲームマスターとの会話、北欧神話で英雄オジールは忘却の王冠によって、祖国のことばかりか、外の世界の全てを忘れた…。といいつつゲームのギアをかぶるアッシュ。ギアが忘却の王冠であることの示唆。アッシュも既に何かを忘れている?

・PKの的にされるアッシュ。PKは逃れるもリセット。リセットは体に悪いらしい。ちなみにウィザードリィではオートセーブを逃れるためにタイミングよくリセットする「技」が存在するが、邪道とされる。

・帰宅時の電車内、他の乗客の配置はいつも同じ。自由意志のない背景である。

・珍しくまともな料理してると思ったらガブリエル用。しかもガブリエル消滅。リセットのペナルティか?

・スタンナ再登場、まともに美味しそうな朝食。しかしスタンナの食い方が汚い。生気のないこの世界で貴重な生活感。

・受付嬢「どれほどリアルでもゲームはゲームに過ぎない、クリアを拒むプログラムは既にゲームとは言えないもの。だからそれは隠されている。禁断のフィールドとしてね。」クラスSAはゲームとは呼べない代物。そう、ゲームではない、それこそが…

・アッシュ「あなたもどこかの端末からアクセスしているの?それともシステムの一部なの?」ゲームマスター「君にそれを確かめる術はない。そのいずれにせよ。」たぶん、どこか別の階層からアクセスしている。例えば、リアルとか…。

・ビショップとの待ち合わせは高射砲塔。鳥がたくさん。ビショップの足元にも。押井映画では、鳥は上位の論理に辿り着いた人の偶像。帆場や柘植など。ビショップは要はデバッガー、ゲームの管理者側なので、そっち側の人。

・ビショップ名言「クリアできそうでできないゲームと、クリア不可能にみえて可能なゲーム、どちらが良いゲームかは言うまでもないだろう」そう!クリア不可能にみえて可能なゲームこそが最良のゲームでしょ!とウィザードリィ好きは思う。

・ビショップの連れてきたAI「マカニト」「ジルワン」「バディ」はウィザードリィの呪文。どれも敵を即死させる呪文だなぁ。

・被弾しても効かないビショップ、正にチータ

・ゴーストを撃って「Welcome to class real」の表示。リアルですって!?あからさまな真相の示唆。

・頭からギアを外すアッシュ。ギア外した!

・ゲーム施設から出ると、、天然色の色彩の世界。これまでのセピア色の世界は映画の演出ではなくて、本当にセピア色だったってこと…メタな仕掛け。

・自由意志で動くその他大勢。これまでの動かない背景用の人との対比。

・マーフィーとの対峙。マーフィーが腰掛けるのは大砲だが、砲口に穴は空いておらず、明らかな模造品。重火器がごろごろある世界との対比で、それが我々の知る普通の世界であることを示唆。

・マーフィー「世界とは思い込みに過ぎない。ちがうか?ここが現実だとしてどんな不都合がある」これがこの映画の要点。

・撃ち合うアッシュとマーフィー。そして、撃たれたマーフィーは…

普通の映画なら、消えない。ここまでの全ての伏線が、この世界がリアルだと示唆している。ここがリアルだったのかー!という気づきが物語最後のどんでん返しであり、映画として完結するための必然である。

余計な情報だが、押井の最初の企画書では、実際消えないことになっていた。それが物語に結末をつけるということだ。

でも、マーフィーは消えた。この世界すらリアルではない。そして再び現れるゴースト。そこへ銃口を向けるアッシュ…

「Welcome to Avalon

終わり!

終わるな!なんでやねん!

 

今いるこの世界が偽物なのではないか…という疑念は誰しも思うところ。それは胡蝶の夢が語られた太古からある妄想だ。例えばマトリックスがそれっぽい話で始まったが、目覚めたその世界がまた偽物であるとは疑わない。でも本当にそうか?さっきまでの世界が偽物だったとわかって、今いる世界が本物であると信じる理由は?なんなら「本当の世界」なんて存在するのか?

この映画では、本当の世界かと思われたClass Realがやはり偽物で、更に上位の階層の存在が示唆された。ではそこが真のリアルなのか。さあ?

マーフィーが言ったとおり、本当の世界を選ぶのは思い込みでしかない。無数にありそうな階層のうち、どれがリアルなのか。結局、本当などはなく、どう思うかしかないのだ。