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読書録15: 「赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由」 ニコラス・ハンフリー

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由

 

 感覚ってナンなのか、を解き明かそうとする本。

自分が感じていることは、周りの人と全然違うのかも。なんて不安を持ってる人、実は結構いるんじゃなかろうか。例えば、僕が赤いと感じているモノを見て、他の人は「僕にとっての青い感じ」を感じているとしたら。「感じ」が違ってても、「赤」と同じ名前で呼ぶので、コミニュケーションは取れる。でも「感じ」の比較はできっこない。こりゃ永遠の謎だ。こんな悩みに囚われてると、世界を共有できない疎外感とか感じてしまって、実に生きにくい。
この本も、この疑問に結論を出すのが難しいのは認めてる。それでも確実に言えることを積み重ねていけば、余計な霧は晴れてくる。すると、どうせわかんないけど、そんなもんだよ、なんて開き直れるようになった。モヤモヤしてる人は読んでみるのがオススメだ。
ただし、絵本のような装丁に騙されて軽い気持ちで読み始めると、開始2~3ページで振り落とされるんで、そこんとこは注意だぜ。

 

例えば赤いものを見るとき。厳密には2つのことが起こっている。
・赤い光を検知すること
・アタマの中で「赤い感じ」を感じること
この2つの区別が飲み込めない?読み通すにはココ大事なんで頑張りましょう。赤を「あの感じ」に感じるのは、実は当然ではないのだよ。
赤の光とは、波長700nm前後の電磁波。電磁波の波長と、色彩の感覚ってのは人間の脳が勝手に関連付けたもの。電磁波を検知することと、頭の中にあの色の感じを想起させることは、別個のことなハズだ。
そんなの机上の空論、かと思いきや。はたして、脳の機能としても完全に別々に処理されてるんだそうな。その証拠に、後者の「感じ」だけを失う「盲視」という脳障害があるんだと。この障害の人は、何も見えない、何も感じないと言いながらも、視覚情報は認識できていて、ちゃっかり見えてるように行動できるという。そんなの哲学的ゾンビじゃーん!!

著者さんはこの盲視の研究で名を成した人なので、このくだりの筆致が実にアツイ。脳と意識の話はまだまだ解らないことだらけですが、だからこそのフロンティアな熱気が伝わります。

 

認識と感覚が別モノならば。認識できれば十分だろうに、感覚は何のために進化してきたんだ・・・ってところに話は進むんだけど。この4章、感覚の進化過程の考察については、個人的にちょっと違う気がするのでメモしておく。
まず本書での結論をまとめると。
1.原始、生物は外部からの刺激に体の部分部分で場当たり的反応を返すだけだった。
2.外部刺激と反応を統括する司令部ができた。この時点では脊椎反射のようなもの。
3.司令部のために刺激→反応のループをモニターするシステムが構築される。
4.司令部が意識を成し、意識が外部刺激に対する反応を統括する。
5.仕事を無くした刺激→反応機構が変質し、刺激→感覚機構になった。
ここでは、意識が体の反応を完全に統括しているイメージ。でも、近頃の学者さんの見解では、どうやら意識は行動をほとんど管理してないらしい(デヴィッド・イーグルマン著「意識は傍観者である」あたりを参照)。意識が反応を統括してないとすれば、話は簡単。3で終わりだ。刺激→反応の機構はまだまだ現役で、意識はその仕事の一部をモニターしてるだけ。この本の中では、「感覚が物理的な機構にもとづく反応だ」ってことが言いたいので5を結論にしたいんだけど、4が成立しないなら5は起こらない。そうじゃなくて、意識が刺激をモニターした結果が、つまり感覚のことなんじゃないかな?